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グランイルミ

先日、伊東にある『伊豆ぐらんぱる公園』に行ってきました。
昔からありますが、久々に行こうと思ったのには理由があります。
グランイルミ”なるイルミネーションを見る為です。
開園50周年を記念した企画の様で、昨年11月から設置してあります。
行く前はどの程度のレベルか正直疑っていました。
ですが実際行って見たら、想像を超える物でした。 w(゚o゚)w
(期待のハードルが下っていたからなのかもしれませんが!?)
定期的に音楽と光のショーがあり、これも中々良かったです。
長いローラー滑り台にもイルミネーションが施されていました。
又、ワイヤーに滑車で吊られて滑るターザンの様な”ジップライン”
イルミネーション上空に架かる物としては日本初だそうです!
見ていてつい思ったのが「電気代はおいくら?」
LEDとは言ってもこれだけの量になると、相当ではないかと!?
そんな事を思いながら歩くコースは結構長いです。
しかも起伏も有り運動不足解消にもなりました…。
又、昨年病気をした父が出不精になっていたので、連れ出す理由でもありました。
車椅子を押して2周回りヘトヘトになりましたが… (T_T)
子供の遊び場も有りますし(そんなに多くはないですが)
あと何故かその日の点灯式を娘がする事に!?(レバーを上げるだけですが)
結果みんな楽しめたし、少しは親孝行出来たかと思います。
何事も行動に移してみないと分からないものですね。
夏場は夕涼みついでに良いかもしれません。
機会があれば一度行かれてみてはいかがでしょうか! (o‘∀‘o)*:◦♪

グランイルミ(1)

グランイルミ(2)

グランイルミ(3)

グランイルミ(4)


工務部 H.A

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泉岳寺 天下御政道に楯突いた47名の男達

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元禄15年12月14日に起きた元禄赤穂事件。
赤穂浪士47名が吉良邸に討ち入り(実際は15日午前4時頃)。
2時間戦闘の末、吉良上野介(きら こうずけのすけ)の首をはね、泉岳寺にある亡き主君、浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)の墓前に捧げ、男泣きに泣いた赤穂47名の武士達。
泉岳寺には浅野内匠頭、妻の阿久里(あくり)、大石内蔵助(おおいし くらのすけ)を始めとする家来47名の墓があります。
また、萱野三平(かやの さんぺい)の供養墓もあります(三平は討ち入り参加を約束しましたが、その計画を親族に洩らす訳にはいかず、理由を知らぬ親族は再就職の話を持ちかけます。同志と親族の板挟みとなり「君父忠孝の間にていささか当惑。これにより自殺つかまつり候」と自刃)。

さかのぼること元禄14年3月14日。皆様よくご存じ江戸城松の廊下刃傷事件により浅野内匠頭は即日切腹。赤穂浅野家断絶。赤穂城1ヶ月以内に立退きという厳しい御沙汰に赤穂浅野家の家来達は大混乱となりますが、彼らをとりまとめたのが、これまた皆様よくご存じの家老大石内蔵助です。
早々に吉良を討つべしと訴える者や、幕府の命令に従うべきと言う者。一方、廣島浅野本家からは「幕府に逆らうな。」と文が届きます。
まずは赤穂浅野家再興が先決。内蔵助は速やかに赤穂城を引き渡す事とし、浪人となった家来達は親類や知人を訪ね、ちりぢりばらばらとなりました。
そのような家来同士を繋ぐ為、内蔵助はいずれ事を起こす約束(上野介を討つ)の神文を交わしました。
内蔵助は幕府に対して力のある者や僧侶達に内匠頭弟大学(だいがく)を藩主としての赤穂浅野家再興を懇願しました。
しかし努力虚しく幕府の命令により大学は廣島浅野家に戻る事になり、赤穂浅野家再興は露と消えたのです。
内蔵助は京都丸山に浪士達を集め、吉良邸討ち入りの決断を告げました。
しかしその直後、浪士達から除隊を願い出る者が相次いだのです。それは親類達に迷惑が及ぶ事を恐れ、また残された家族を想う結果でした。
そこで内蔵助は浪士達に「わたしは再就職をする為、かつて交わした約束は無かった事にする。」と使者を遣わし、預かっていた神文を返却しました。
この事を聞き、安心納得する者や憤り使者に激しく異議を唱える者がいました。
内蔵助は、この異議を唱える者にだけ本当の事を告げたのです。当初120名ほどいた討ち入り参加者は半数以下となりました。
討ち入りは吉良邸の茶会が行われる12月14日(茶会当日は上野介が在宅)と決まりました。
昼行燈と揶揄されていた大石内蔵助ですが赤穂浅野家再興に力を注ぎたるも残念ながら願いかなわず、離れ離れになった浪士達を結束させ長男主税(ちから)と共に総勢47名、最後の目的となった吉良邸討ち入りを果たしました。討ち入り時刻が深夜ではなく、明け方という点は意表を突く優れた判断だったと思います。

討ち入り後、内蔵助は辞世の句を詠っています。
「あら楽や 思いは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲無し」
元禄16年2月4日、幕府命令により赤穂浪士47名切腹。

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松の廊下刃傷事件が無ければ内蔵助は赤穂で平穏に暮らしていたはずですが、歴史に名を残す事は無かったでしょう。
ところで彼は大変お酒が好きだったようで、酒の席での『杯の掟』という次の五箇条を詠っています。

◎喧嘩や口論をしてはいけない。
◎盃を下に置いてはいけない。
◎お酒をこぼしてはいけない。
◎相手に無理強いしてはいけない。(今では当たり前ですが、なんと元禄時代ですよ)
◎他人に注がれたお酒を呑んではいけないが、女性が困っている場合は助けてあげなさい。

お酒は愉しく呑みたいものです。内蔵助は愛嬌ある家老だったようです。

品川駅を降り、国道15号線を北へ向かうと徒歩20~30分程で泉岳寺に到着します(健康の為、歩きましょう)。
近くにお出かけの際、ぜひ寄ってみてはいかがでしょうか。
泉岳寺 東京都港区高輪2-11-1

建築部 MS

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伊豆探訪 ~伊東編~

前回の記事からだいぶ時間が空きましたが、着々と伊豆の探索に出ております。

少し前に伊東方面を家族とともに旅したので、駆け足でその報告をさせて頂きます。


昨年後半の平日に有給を取り、家族と一緒に伊東方面へ旅に出ました。

まず、旅の初日に向かったのは【伊東マリンタウン】
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こちらのスポットは「道の駅」であり、地域の特産品を使ったハンバーガーなども施設内のレストランで頂けます。
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旅先でご当地バーガーを食べずにはいられない性分なので、今回どうしても立ち寄りたかった場所です。
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※写真は「伊豆牛プレミアムバーガー」


次に向かったのは【伊豆高原ステンドグラス美術館
こちらはチャぺルと1800年代のステンドグラスを主に展示する美術館が併設された施設となっています。
※館内はほとんどの場所が撮影禁止
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チャペルでは1時間おきにパイプオルガンとアンティークオルゴールの演奏会が行われたり、
館内のレストランでは伊豆の海を眺めながらデザートや紅茶を頂けるので、視覚だけでなく聴覚・味覚も満足できました。
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旅行2日目に訪れたのは【伊豆シャボテン公園
全国的に有名なカピバラが温泉を楽しむ姿が見られる動植物園です。
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園内ではカピバラの他に、放し飼いにされているリスザルやペリカン、温室内のサボテンなど様々な見どころがありました。
しかし、下調べしないで行くと一番驚くのはレストランの「サボテンメニュー」ではないでしょうか?
是非とも訪れた際に自分の舌でどんな味なのか体験してみてください。
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※写真は「特製シャボテンラーメン」


駆け足でしたが以上で旅の報告を終わります。

次回も伊豆の観光スポットを巡り、伊豆の魅力をお伝えしたいと思います。


総務部 H・H

志半ば 病に倒れた男

地元の方なら遠足で一度は訪れたはずの江川邸と韮山反射炉。御存じの方は多いと思いますが、この韮山反射炉を築いた男を紹介したいと思います。
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江川英龍(えがわひでたつ)1801~1855
欧米の列強がアジア各地を植民地化した幕末時代、蘭学を学び、外国の社会事情や国際情勢を知り日本の状況を深く憂慮し、沿岸防備の為の砲台、農兵訓練、保存食用パン製造等に力を注いだ代官です。
1840年、イギリスと清の間でアヘン戦争勃発し、日本は列強諸国に対抗する為の軍事力強化が大きな課題となっていました。
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1849年 英艦マリナー号が下田入港。下田奉行による退去交渉が難航した為、幕府は英龍に交渉を命じたのです。
普段は質素実用を旨とする英龍でしたが、この時は日本橋越後屋であつらえた蜀江錦の野袴に陣羽織という絢爛たるいでたちで交渉に臨んだのです。
その姿を見たマリナー号艦長は交渉に応じ、英龍の堂々たる態度や明敏な口上に感銘を受け、すぐさま退去することに同意したと伝えられています。
1853年ペリー艦隊の来航を受け、幕府は海防対策を決断。以前より幕府に海防対策を進言していた英龍を責任者とし、大砲を鋳造する為の反射炉と品川台場の築造が決定しました。
当初反射炉は下田港に近い本郷村に造る予定で準備を進めましたが1854年、下田に入港していたペリー艦隊の水兵が工事中の反射炉敷地内に侵入する事件が起こり、急遽韮山の地へ築造変更する事となったのです。
その後、たび重なる過労により英龍は反射炉の完成を見ることなく1855年に他界。
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英龍の秘書的存在であった柏木総蔵が英龍の息子、英敏を補佐し1857年反射炉は完成しました。
反射炉では隣接する豊富な川の流れを利用し水車を廻し砲身の削り出し作業もおこなったそうです。
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柏木総蔵は明治6年(1873年)教員養成のため講習所を設置しました。これが現在の県立韮山高等学校の基礎となったのです。
ひょっとして世界遺産になるかも・・・の江川邸と韮山反射炉。再度見学されてはいかがでしょうか。

建築部  M・S

伊豆探訪

 私は 1月に静岡県に転居したばかりで周辺地域のことに疎い状態なので、

地域のことに詳しくなろうと色々な場所に出掛けることを心がけています。

先日は中伊豆・西伊豆まで勉強がてら1泊2日で観光してまいりました。


初日は伊豆市にある"東府や"で足湯をしながらLOVE伊豆(IS)バーガーを食べ、

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次に訪れた"浄蓮の滝"でその迫力に驚き、

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天城越えをしながら"河津七滝ループ橋"を渡り、

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賀茂郡河津町の"七滝茶屋"でわさびそばを頂きました。

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2日目は宿泊地の堂ヶ島温泉付近にある"天窓洞"へ遊覧船で入ってみたり、

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土肥温泉で金山の内部を覗いたり砂金を採ったりしました。

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静岡県東部には回り切れないほどの多くの観光地がありますが、

今回の旅を通して今以上にもっと詳しくなりたいなと思いました。

次回は今回行けなかった場所に行ってみたいと思います!


総務部 H.H

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